2009年5月27日水曜日

子どもたちの考えたコンビニグッズ

作ったのは大学生。

干溝ラーメン

作っているところ。(法政大学の某教室)

2009年5月24日日曜日

5/23~24 干溝

コンビニの商品のデザインをする子どもたち

今週は先生と岡崎(学生は一人だけでした)の二人で干溝に行ってきました^-^。

今回の目的は“干溝にコンビニをつくろう”&“干溝博物館(空き家)に大人の隠れ家をつくろう”という二つのコンセプトにしぼって、こどもたちに干溝コンビニの商品のデザインをしてもらうこと、集落の方々の子供時代についてインタビューすること、その当時の懐かしいお写真を集落の方々からお借りさせて頂くことの以上三点です。


☆一日目☆
今回も稲垣先生のお車で干溝に向かいましたが、途中まさかの道を間違える事体が起こったり、渋滞に巻き込まれたりで予定より若干遅れて到着しました。車から一歩外へ出て、干溝の新鮮な空気をいっぱいに吸って体全体に流し込むと、とても清清しい気分になりました。さっそく空き家の中へ入って電気をつけるとちゃんとつくようになってました。水道も使えるようになってました。あとは、お湯がちゃんと出るようになればお風呂にも入ることができますね。

スーパーに行って食料の買出しから戻ってくると、となりのひろたさんからあさつきを頂きました。あと、区長さんからもほうれん草の卵とじを頂きました。とてもおいしかったです。どうもありがとうございました。さてさて、そろそろ第二回干溝こども会議についての話に移りたいと思います。

♪第二回干溝こども会議♪
今日は何をするのかな?

今回も会議のスタートの時間からやや遅れてこども達がやって来ました。前回と同様にして、稲垣先生を中心に子供たちが輪を描いて集まり、説明がはじまりました。テーマは干溝のコンビニの商品をデザインしてみようということでしたが、いきなりスケッチするのは大変なので、まずこちらからコンビニに関連した質問をいくつか投げかけました。(例えば、Qestion→先生:どんなコンビニを知っていますか?A→こども達:デイリーヤマザキ、セブンイレブンなど)というように質問していって、最後に商品の名前には必ず「干溝」という言葉を入れるのをきまりにして、こども達に画用紙に“ひみぞ○○○”の商品を描いてもらいました。もくもくとまじめにお絵かきしてる子もいれば、全然興味を持ってくれず、ただただ騒いでいた子もいました。大概の男の子はコロコロのキャラクターを参考にして今流行りのバトスピのキャラクターを描いていました。他にもユニークなデザインを描いていた子がたくさんいて、会議終了の時刻が過ぎても夢中で描いてる子が何人かいました。また、お母さん方とも楽しくお話できて良かったです。ご協力大変感謝しています。それと、言い忘れましたが、子供たちが描いたデザインのスケッチをベースにゼミのみんなで実際にその商品を作りましたので、今週末にはご覧になれるとおもいます。楽しみにしていてくださいね。

次々とアイディアが出てきます。

ご協力ありがとうございます。

その後、先生と僕はたかしさんに林屋(銭湯さん)に行く途中の坂にあるお寿司屋さんに連れていってもらって、そこで杯を交わしました。ひたすらあつかんで。干溝の方々は本当に酒豪で、底が知れません。恐ろしや恐ろしや。後半あたりになって、話題はカラス踊りの話になり、もしゼミ生がからす踊りを干溝の方々の前で披露したら、大変喜ぶんぞおとおっしゃっていました。今度機会があったらカラス踊り教えてもらいたいですね。家号についての話も出ましたが、まだどうなるか分からないみたいです。あとは、すみませんがお酒が回ってしまって覚えてないです。力不足でした。

干溝の男衆はみんな飲んべえ?

☆二日目☆
仕事の合間の一服

早朝から先生と田植えの作業を見に出かけました。朝のひんやりして澄み切った空気に包まれながら先生はカシャカシャと干溝の風景を撮っていました。家からちょっと歩くと田植えをしている集落の方々がいて、日曜でも関係なくせっせと働いていて、ちょうど今田植えの時期もあってみなさん忙しそうでした。田んぼ道をま っすぐ歩いていくと信濃川につながっている坂を下りようとしたけれど、けっこう距離があるみたいで断念して引き返しました。その後博物館に戻ってから、壁に打ち込んであった釘をある程度抜きました。一番下の階段の釘も抜いたので、すごく不安定になっています。みなさん気をつけて下さいね。そして、家の正面の壁に“干溝博物館建設中と記してあるメッセージボード”をつけました。ゼミ生みんなの顔写真(初回のゼミの授業でとったやつ)も一緒にのってますよ~。

干溝博物館の前に掲示板が着きました。

中ではいろいろ準備をしています

<懐かしの写真を手に幼年時代についてインタビュー>
・江口さとるさんにインタビュー

→一枚目:昭和30年ごろに撮った農作業をしている様子。

→二枚目:1993年に撮った7歳の娘さんと6歳の息子さんが一緒に写っている写真。息子さんはおしゃべりでよくいたずらをした。レジスターというおもちゃが好きだった。娘さんはやさしくておとなしかった。現在息子さんは新潟の専門学校に通っていて、ちょくちょく干溝に顔を見せに帰ってくるという。娘さんは仕事をみつけるために上京して、今は都心で働いている。二人ともできれば干溝でずっと暮らしていたかったが、就職の問題、都会へのあこがれから干溝を離れていってしまった。都会へ行ってしまった人達がいつでもまた干溝に帰ってきてもいいように、いつでもウェルカムな気持ちで干溝の人達は彼らの帰りを待っている。さとるさんは若いときまで津南で暮らして、それから干溝にやってきた。やはり地元に残っていて良かったとおっしゃっていました。子供の頃にやった遊びは釘をグランドに何個も立てて、4つの釘を一周したら自分の陣地をゲットする。できるだけ多く相手より陣地をゲットした人が勝つ。次回もしかしたらさとるさんが津南で過ごした子供時代の写真を持ってきてくれるかもしれません。

・朝一さん→子供の頃に撮った写真をたくさんお借りすることができました。今回はインタビューする時間がなかったので、次回お話をお聞きすることになりました。今週末干溝に行く方よろしくお願いします。
朝一さんのお父さんは写真が趣味、ということで子供の頃の写真がたくさんあります。

干溝の皆々様、今後ともどうぞよろしくお願いします。